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タムラさんにとってアートとはどんなものなのか、お話を伺いました。
ユーモアに満ちていて、コミカルな作風ながらも、意味や文脈から切り離された不思議な作品で見る人の心を動かし、鑑賞者に問いかけるタムラサトルさん。現在、国立新美術館にて代表作「まわるワニ」のカラフルな彫刻を中心とした大規模な個展を開催中です。回転するワニのシリーズの変遷、なぜあえて意味がないものをつくるのか、そしてタムラさんにとってアートとはどんなものなのか、お話を伺いました。
138 タムラサトル(美術家)前編|六本木未来会議 -デザインとアートと人をつなぐ街に-
138 タムラサトル(美術家)後編|六本木未来会議 -デザインとアートと人をつなぐ街に-

すべての展示室にこの機械を!
これがタムラサトルの新作の展示である。彼の新しい展開に目を見張りつつも、なぜ同タイプの機械だけでまとめたのかと少し引っかかった。彼にはなんらかの理由があったのだろう。(出原 均 兵庫県立美術館学芸員)
「プラザノース開館10周年記念展 Domain of Art 22」カタログより

機械から機能を取ったら何が残る? タムラサトルが展開するシニカルな世界
タムラが2010年から取り組んでいる代表シリーズ「マシーンシリーズ」は、文字や、ハートや星といった身近なシンボルを象ったチェーンが延々と一定の速度で動くというもの。タムラはこのシリーズで、機械が本来持つべき機能を排除し、「機械=有能性」という構図を真っ向から否定している。
機械から機能を取ったら何が残る? タムラサトルが展開するシニカルな世界|美術手帖より

開発のための開発のために
鑑賞者はそこにある「ただ動いている機械」に意味を見出すべく、作品化された数字をパーソナルな思い入れによって鑑賞する。数字を用い、さらには書体に変化を持たせることで作品を深読みしやすい状況を作りだしているのは、タムラの巧妙な手法であると考えざるを得ない。(金津創作の森 学芸員 石川 達紘)
「0-9」カタログより

意味はない、無駄がない
「意味はないが無駄がない。」とは、タムラの作品をよく言い得た一言だと思う。彼の多くの作品が何らかの動きをもつが、その動きには全く意味がない。それと同時に、その動きを実現するための機構には全く無駄がない。(服部 浩之 青森公立大学 国際芸術センター青森 学芸員))
「Domain of Art 11 / 大マシ-ン」カタログより

ささやかなスペクタクル
タムラサトルの作品は、なんでもないものの特性や単純な現象を少しだけ大げさな機構により誇張して実現することで、身体感覚として楽しむことができるちょっと大仰な「遊び」に変換するという側面が強い。つまり、金属が触れ合うことで通電し白熱球の照明が点灯するというどうしようもないくらい当たり前でほとんど意味も価値もないことを、なるべく非円滑的な構造を築くことで、矛盾を承知で表現すると、ささやかなスペクタクルとでも言える状況を発生させ、見るものを惹きつける作品に昇華するのだ。(服部 浩之 青森公立大学国際芸術センター青森学芸員)
AIRS企画Vol.4「再考現学 Re-Modernologio」カタログより

タムラサトルクロニクル2006~2010 ー変わる環境、変わらない思想ー
タムラサトルは“変わらない”作家である。
『意味の破壊』をテーマに、様々なモノの意味を無効にする作品を、彼は一貫して制作し続けている。
その一方で、前回インタビューしてからの5年間で、公立美術館での大規模な個展や海外での展示、国際展への参加など、タムラを取り巻く環境は大きく変化した。
そんなこの5年間での変化と、そんな中でもぶれることのない制作姿勢を元に、タムラサトルの5年間の軌跡を、Art Center Ongoingでの個展中に開催した公開インタビューで追った。(聞き手:藤田千彩・横永匡史)
PEELER/タムラサトルインタビュー「タムラサトルクロニクル2006~2010 ー変わる環境、変わらない思想ー」より

意味の潜在と顕在
意味の消失と顕在化をもたらす運動を内包し、あるいは臨界点において何も起こらない運動を反復するつタムラサトル氏の作品。そこでは物質が物質ならざる何ものかへ転移することは意図されていない。なぜなら瞬間の中に永遠性をみるのではなく、持続の中に瞬間性を見るような、ものがものとしてある瞬間そのもの持続を問題としているからだ。(岡部信幸 山形美術館学芸課長)
「タムラサトル 1992-2011 恐竜から電球まで」より

タムラサトルの不敵なナンセンスが導くゼロ地点
タムラサトルの不敵な笑みを感じさせる作品群は、一面田畑に囲まれたのどかなアトリエで作られる。歴史を感じさせる家にある本来は農機具が仕舞われる倉庫が、タムラのアトリエである。(中尾英恵 担当学芸員)
「タムラサトル 小山マシーン」展カタログより

意味からの開放、そしてその先の漂白
鑑賞者は、タムラの作品にこめられた罠にはめられ、作品の意味を考えようにしむけられた上で、裏切られていくのだ。
そして鑑賞者は、裏切られ行き場を失った意識の行き先を求める。
しかし、タムラはそうした行き先を呈示してくれるわけではない。
目の前にあるもの(=作品)は、ただそれだけでしかない、と突き放すのみだ。
かくして鑑賞者の意識は、ただただ意味を求めて漂泊する。(横永匡史)
PEELER レビュー「タムラサトル 小山マシーン」より

意味の不在/不在の意味
無目的にワニは回転する。ワニの存在自体とは無関係にひたすら回転する様相は、そこに意味を求める行為自体がナンセンスに思われてくる。タムラの作品は、モティーフないしはその運動自体に作品の実質があるのではなく、原因と結果の不均衡による機械的仕組みにこそある。(富岡進一 担当学芸員)
「ゆらめく日常 アートの交差展 〜新進アーティストの視点〜」展カタログより

“くだらない電源”をONにせよ!
『Standing bears go back』(1998年)では、クマが身じろぎもせずにあの音とスピードで毛をバーッとさせながらスーッと下がって行くのを見て、自分が現実から離れて行くようなような感覚すらあったし、『Double Mountain』(2001年)も、とにかく山をどうしたらくだらなくできるか、台無しにできるかを考えた。「くだらない」ということには、「いいのかな、これ?」とか「どうしよう……」みたいな「関われない怖さ」もあると思う。僕の作品ではいつも、そういうニュアンスが前面に出ればいいなと思って目指している。(聞き手:Art Center Ongoing 小川希)
アーティスト・インタビュー Art Center Ongoingより